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両親と妹へ

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両親・妹を一度に亡くした遺族としての思い、そして生前の家族との思い出たち。 一つでも目に留めていただけると幸いです。
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元彼の運転する車で、小雨の中のお墓参り

元彼の運転する車で、小雨の中のお墓参り

関東・甲信で梅雨入り。
梅雨になると思い出すエピソードがある。

あの時、季節は梅雨を迎えていた。

その年の春に、両親と妹を一度に亡くした私は、
その頃、母方の祖父母と伯父伯母家族の暮らす家に身を寄せていた。
一人、相続やら死後の様々な手続きに追われていたからだ。

日本にいるのに、異邦人の気分だった。
というのも、当時、夫の仕事の関係で私たちは数年間南米で暮らしていたからである。

葬儀後しば

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母の初恋は時空を超えて。

母の初恋は時空を超えて。

今、私が洋楽を
ここまで愛しているというきっかけは沢山あるけれど。

やはり一番は両親、特に母親からの影響が
とてつもないくらい大きい。

私がお腹にいるときの母は主にどんな曲を聴いていたんだろう。
よくよく振り返るとその質問はしたことがなかったが、
その頃 特に聴いていたであろう曲やグループ、バンドは不思議と歳が経つほどに自然と想像できるほど、母の好みも幅広く、そしてそれぞれへの愛は熱いものだっ

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父の涙を見た、大晦日の思い出。:一年間 読んでくださった皆さんへ感謝を込めて

父の涙を見た、大晦日の思い出。:一年間 読んでくださった皆さんへ感謝を込めて

2021年も残りあと半日弱となりました。
今日、今年最後の投稿は、エッセイ。
お世話になった皆さん、いつも読んでくださった皆さん お一人お一人を思いうかべつつ、綴りました。
ぜひ、お読みいただけたら嬉しいです。

☆☆☆

中学1年の大晦日のことだ。
家族で朝食をとっていると、ふと父が箸を止めてつぶやいた。

「今日、墓参りに行ってきてもいいかな、年始に買い足すものは帰りに買ってくる」

そして、

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「わたし」から「あなた」へのメッセージ、「わたしたち」。

「わたし」から「あなた」へのメッセージ、「わたしたち」。

はじめに :由美さんとの出会いまで

本日二回目の投稿失礼します。

現在、noteで毎日ではなくとも 週/月に一度や二度は投稿したり、時間を見つけてタイムラインなどから
フォロワーさんの投稿を読むような 【アクティブユーザー】はどれくらいいるのか…
全く把握していませんが。
それでも、読みに来てくださる方々や、こちらが読みにいく、コメントをする方々の中には同じ年代で育ってきた方も多いように感じま

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大切な人への思いも、記憶も音楽と共に忘れない。

大切な人への思いも、記憶も音楽と共に忘れない。

「ほしまるさん、いつも元気だから
そんな辛い過去があるなんて思わなかった」

特に、結婚してから知り合う人たちは皆必ずそう話す。
とはいえ、私自身も 家族(両親と妹)の喪失体験に関しては、誰にでも話しているわけではない。

なぜなら、noteを書き始めの初期に記したことではあるが
私の家族の死因は 【変死】というカテゴリーにあたるものだからだ。

それこそ、今の時代、季節毎に どこの局でも

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祝 note1周年、そして妹に捧げる曲。

祝 note1周年、そして妹に捧げる曲。

皆さんこんばんは。ほしまるです。

昨年10月13日にnoteで初投稿。
以来、今日で 1周年を迎えました。

これまで訪れて下さった皆さん
そして、スキやコメント、オススメ/サポートしてくださった皆さん。

そして、note運営・編集に携わる皆さん。
いつも本当にありがとうございます。

これからも マイペースで精進していきます。

そして、今日は私にとってもう1つ
大切なお祝いの日。

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今でも思い出す じいちゃん、ばあちゃんの背中

今でも思い出す じいちゃん、ばあちゃんの背中

今日は敬老の日だ。

もう直接は伝えられないけれど
私なりに気持ちや思いを込めて、
私の じいちゃん、ばあちゃん(母の両親)との思い出話を書こうと思う。



私は出身そのものは東京だが、生まれたのは
千葉県の母の実家近くの産院だった。

だから、出生地そのものは千葉県。
なので 積極的に「生まれも育ちも東京」とは名乗っていない。

千葉県といっても、東京に程近い市なのだが
それでも 小さな頃

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ほしまるの夏。第2回(計4回):中学受験勉強をしていた夏

ほしまるの夏。第2回(計4回):中学受験勉強をしていた夏

前回(第1回)はこちらです。
(※連載読み物ではないので、続けて読まなくても大丈夫です。)

早いもので、8月も残りあと10日ほどとなりましたね。
お子さんがいらっしゃる方や、学生の方々は
夏休みの宿題も佳境に入る頃でしょうか。
残暑がかなり厳しくなっていますので、引き続き 皆さんも夏の疲れや熱中症などくれぐれもご自愛ください。
なかなか noteにも来られなかったりですが
時間のあるときにゆっく

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父に念願の息子ができた。

はじめに同じ日に連続投稿失礼します。
これから書く話は、私の父、そして私の夫の
短くも思い出深い過去の物語です。

私は夫の海外転勤に伴い、結婚と同時に海外で生活した。
一年後、日本に一時帰国した際には 挙式、そして簡単なお茶菓子を用意して参列者の方々のための歓談の場を設けました。
(招待状やあらゆる準備は国際電話とfaxを通じて母に全てお願いしました。)
再びまた赴任先へ戻ってしばらく後、私は夫

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母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらった話

母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらった話

両親と妹を亡くしてから、まだ数年しか経っていない頃の、ある年の母の日。

私は当時、住んでいた家から近い花屋さんに 予約していた花を取りに行っていた。

その花屋さんには、度々お世話になっていた。

当時は、友人や知人の結婚などお祝い事も多かったので、花束を買うときはいつも予約して 取りに行ってから会場に向かった。

また 家族のお墓参りに行く前に、いつもお供えの花を買っていた。

母は花が大好き

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銀座にある仏蘭西へ:喫茶店の日に思いを込めて。

銀座にある仏蘭西へ:喫茶店の日に思いを込めて。

今日 4月13日は 喫茶店の日。

私とって喫茶店(老舗喫茶店/純喫茶店/レトロ喫茶店)という
【古き良き時代】の雰囲気を残しておられる喫茶店は、とても落ち着く場所。
初めて訪れても懐かしい気持ちもある一方で
背筋がピンと伸びるような 、心地よい緊張感をも与えてくれる場所なのです。

この喫茶店の日に、どこの喫茶店を紹介しようか
かなり悩みました。

残念ながら、この数年で閉店された 大好きな

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きっかけはバスケットボール。

きっかけはバスケットボール。

もともと私は運動、スポーツに苦手意識があった。

そんな私が小学生だったある日、大きな怪我を負った。

辛いリハビリを乗り越えて、私が運動・スポーツを楽しめたきっかけとなった話を記したい。

新学期早々、思いがけない怪我を負った1983年4月。テレビに映っていたのは、開園したばかりの東京ディズニーランド。
中継リポーターがアトラクションの魅力を存分に伝え、スタッフや来園客にインタビューしていた。

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橋田先生がコロナ禍をどう描くか、楽しみにしていた...。

*はじめに*この記事では 故 橋田壽賀子先生、そして主に私の好きな「渡る世間は鬼ばかり」について、私自身の思いやエピソードを交えて書いてあります。

実は昨年、まだnoteを始めたての頃、「渡る世間は鬼ばかり」について書いたことがありました。

その時のPV数一桁、スキ1。(2021/4/6 PM12時現在)

まぁ、内容も稚拙だし。
この内容でスキをいただく方が不思議かもしれません。(笑)

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徒然に:桜が咲く度に涙が出る理由

東京で桜が開花したそうだ。

この分だと、ここ千葉県の開花宣言も予想より早いだろう。

3月。多くの人々が春の訪れに心浮き立たせる。

一方、私にとっては毎年、一年で最も心が穏やかでいられない、感情的には不安定な月だ。

20数年前の3月に、両親と妹を一度に失った。
毎年、様々な思いで命日を迎えるからだ。

更に、10年前の3月11日に東日本大震災が起こった。

【忘れられない】【忘れるはずなんて

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