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aki先生インドネシアへ行く
そんなこんなで赤道を超えて初めて来たジャカルタは、ピカピカの高層ビルが立ち並び、携帯の決済アプリや電子マネーなどのITツールを日本同様に使いこなし、ラグジュアリーブランドがズラリと入ったグランドインドネシア、スナヤンプラザなど、顔が映りそうなくらいにツルツルのタイルの床の大型ショッピングモールで食事をする会社員や、中堅層の通勤客が地下鉄やバス、自家用車で会社へ向かう大都会だった。
ホテルに泊まり
aki先生インドネシアで入院する 2/2
3日目、回数はずっと減ってもしつこく下痢は続く。主治医のDidit先生は中国系の優しい優しいおじさん(私と同じくらいの年恰好💦)だ。「明日はエコー検査がありますから、午前3時からプアサ(絶食)し、7時から排尿も控えて8時からのエコー検査に備えてくださいね。」と、前夜22時に血圧を測りに来たナースが早口(本人にとっては日本人の私にわかるようにゆっくり言った)で説明してくれた時、私は目をパチクリ、何
もっとみるaki先生インドネシアで入院する 1/2
私は実は身体が丈夫で、この歳になるまで出産以外で入院したことがない。
疲れるとまず口内炎か舌炎、膀胱炎、乾燥していると副鼻腔炎、咽頭炎など、何らかのサインが出て活動を続行できなくなるので、その時点で休息する。方法は食っちゃ寝だ。ある意味便利な体質とも言える。学校をすべての学年に渡って無欠席で通せたためしがないのに、大病はしたことがない。両親と水泳に感謝だ。
協力隊員は基本的に私もそうだが健康優
aki先生インドネシアで教育の意味を考える
2つの黒目がちな瞳が私を真っ直ぐに見つめながらみるみる潤んでいく。
現在のセンターは、さまざまな身体障害者だけではなく、精神障害者、犯罪被害者、孤児も合わせてサポートしているので、本来なら専門家の定期的なカウンセリングが必要な人や、複雑な境遇で育っていておそらく生涯に渡って生きづらさを抱えるであろう人も一緒くたに学んでいる。国立の施設だからトップが変わると方針も変わる。現場で運営する側も楽ではな
aki先生インドネシアで踊る
ヌサンタラダンスとは、一曲のエスニック音楽の中にインドネシアの各地の伝統舞踊やモダンダンスを組み合わせたものだ。
インドネシアは300もの民族が合体してできた国で、世界最大の群島国家だ。そのインドネシア語での国名は、Negara Kesatuan Republik Indonesia, Abb: NKRI 。Negaraは英語のCountry、KesatuanはUnifyだ。それら300の各々の
aki先生インドネシアでパンケーキをご馳走する
今日は大統領選挙。全有権者の投票の結果、今年の10月で任期満了のジョコ大統領の後任が決まる。
私たちJOCVが、JICA事務所から選挙戦のトラブルに巻き込まれないよう、無用な外出は慎むべしと厳に言い渡されているその日が来た。
私は外国人なので当然選挙には関係がないが、ここ地方都市ソロでも、数日前市内の食料品店に買い物に出た時、集会をひけた会衆が市民会館から大挙して出てくるのに行き合った。怖い感
aki先生インドネシアの銀の町へ行く
金銀はなぜ人間を惹きつけるのだろう?
人間だけでなくドラゴンにも愛着させていたり、呪術起源とかM細胞とか諸説あるようだ。今は貴金属の希少性や投資価値、産業利用の有効性で理由づけするが、私はその永遠に変わらない輝きが終わりある人生を知る人間を惹きつけるのだと思う。人を美しく見せ、自身が死んだ後も変わりなく輝き続け、子々孫々に伝えうる形見に、生涯の短かった古代の人は、現代よりももっと思い入れたのでは
aki先生インドネシアで祈る
インドネシア人口の88%以上はムスリムで、クリスチャン、ヒンドゥー、仏教は少数派である。ムスリムたちは毎日毎日朝4時から1日5回の礼拝を守る。なんなら拡声器で町中にモスクの祈りの放送が流れる。生活がそれで終始するから、インドネシア人にとって一番大事なことだと理解しなければならないのだが、日本で生きてきた私にはイスラム教に関する情報が多くない。旧約聖書も少しは読んだから、豚肉とアルコールがなぜ禁忌で
もっとみるaki先生、インドネシアでヒロシ号に乗って遠足に行く
私の赴任先は、中部ジャワ州の古都ソロ(現在の名称はスラカルタ)の、国立障害社会リハビリセンターだ。1950年代にスハルソ博士によって設立された傷痍軍人向けのリハビリ施設が、今は身体・精神・発達障害、孤児の養護施設として編成替えされたものだ。100人位の障害者が平均6ヶ月くらいの期間、ここで生活し、職業訓練や作業療法、理学療法を受けている。いくつか寮があって、そこで集団生活をしている。中には保護者と
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