ダモン
記事一覧
neutral001 二刀流
今回から新しいシリーズなので、ほぼ初めましてダモンと申します。これから書き綴って行くコンテンツは「ニュートラル」を中心にして回って行くユニークな思考というものになるでしょう。ポストモダンと共に過ぎ去って行った哲学に対する熱気を別の観点からわたくしの独自の思索・熱量で新たに盛り上げられたらと思っております。主に日本人とは、その核心とは、「ニュートラル」とは日本人にとってどういう意味を担っているのか
もっとみるneutral018 ランダムな花見とある男
海外からの旅行者の花見のYoutubeの映像が花盛りのように出て来る。音声はマイクで拾うのみ、ナレーションはない。モザイク処理もカットもないようなので通行人や桜狩りの顔がそのまま映し出されている。例えば大阪城公園は昼。円山公園は夜桜。それにしても八割は外国人に占められているように見え、日本人は圧縮されたかのように圧倒されている。リピーターが次は桜のシーズン、と計画表に入れ来訪。手慣れていて混乱は
もっとみるneutral017 容疑者MIの献身
『バカロレアの哲学』(坂本尚志 日本実業出版社 電子書籍 kindle)
副題:「思考の型」で自ら考え、書くーー
フランスの高校卒業論文(試験)であり、大学入試にもなっているバカロレア(哲学だけではない数日にわたる大掛かりな試験)は日本のように答えが分かっている内容ではなく、哲学バカロレアは正解のない、出ていない問題について自らの思考力を4時間使って書かねばならない。
「労働はわれわれを
neutral016 辿り来て、未だ山麓手前
初めに補足を。巨大な「自己同一性」を天皇陛下と限定して書いていたが、現実には他のものに求めても良いと云うところが日本的なのである。モラトリアム(ニュートラル)の精神が生きている。抽象的に「日本」が一番多いだろう。困っている外国人旅行者を助けるときに「日本」「日本人」を代表して行っているという意識は潜在的にでもあろうと思っている。「空気」に従って生きる、というと批判の対象になって来たのであるが、日
もっとみるneutral015 人狼が作りだす異邦人
人狼ゲームという偽りの自分を作ることで割り当てられた役を遂行し、勝負を勝ちに導く遊びがトレンドで少し前に流行っていた。ドイツ発祥らしく西洋そのものの哲学、人間観、市民社会の深くまで踏み込んで表現していると云っても過言ではない注目すべきゲームだった。
バリエーションも多く、人数によっても役職の種類が変動するゲームで、大元が押さえられていれば良いかと。
先ずは市民(村人)と人狼(人間の姿の狼)と
neutral014 ユーラシアの端と端
昭和20年の玉音放送の放心状態、ニュートラルから日本人は立ち直ったかに見える。が、今もそのニュートラルを基盤にまともな社会が築けること自体に疑問を持たれたとしても不思議ではない。少なくとも「同一性」若しくは同等なものが何処かに存在しなければ日本という国は成立しないのではないか?
日本人はニュートラルという海で溺れてしまうのではないのか?
L'autre face de la lune.
neutral013 居酒屋と桜守
Youtube を AndroidTV で見ていることが多い。出典が記述できないこと申し訳ないと思いつつ、見ての通りの小規模な読者の記事では拡散などの伝達効果も然程もないだろうから勘弁して欲しいと思っている。
さて二つの動画から記憶を辿り記述してみよう。
まずはトム・ハンクスがスランプに陥り、彼は上手く演技ができなくてよく落ち込むそうである。で、そのままの状態で日本の居酒屋で呑んでい
neutral012 失敗してしまった試合
日本人と欧米人だけでは数的に世界の人間を代表していないのかもしれないが、世界に与える影響では大きな二つの異種の陣営だ。私が書けるのはこの範囲だろうということで登場して貰っている。決して他のラテンや中東、アフリカ、アジア太平洋を無視しているわけではない。日本は欧米の文化を想像を絶する程浴び、恩恵も数知れず、日本以外の国々も功罪を含めてそうであっただろう。日本ー欧米の関係は世界の様々な国々の関係性に
もっとみるneutral011 大谷翔平バイリンガルへ
前回の身代わりの話が琴線に触れた人は日本人の利他行のニュートラルが身についているのだろう。
けれど、利他がバカバカしいと感じた人は欧米人の個人主義寄りに多く足を突っ込んでしまっているのだろう。
二者択一で決めようとしている訳ではないから剥きになっても仕方がない。
ただ両天秤で生きてゆくのは倍のエネルギーが必要かもしれないが(ニュートラルで英気を養い)、日本人は難なくすり抜けてゆく、頑張
neutral010 琴線に触れる利他行
個人主義とは誰でもが主人公であると云っているに等しいのだろう(実際には政治的な概念で社会の基盤である個人を尊重する立場)。反対に日本人は誰でもが主役ではない脇役であると思って来た。では誰が主役なのか、或いは主役は居ないと云っているのだろうか……。
貴族が支配していた平安時代は天皇にせよ、天皇をも操れる有力貴族にせよ、血脈が被支配者を納得させていただろう。皇室は今でも選挙権はない。日本人の範疇に
neutral009 ルーティーンからNPCへ
ルーティーンについて考えてみたい。スポーツ選手が行なっているお馴染みの一連の動作のことだ。大谷翔平も勿論だが特徴は少ないので物真似されている独自の洗練されたイチロー選手を取り上げてみよう。ネクストバッターサークルでのストレッチから始まって、バッターボックスでは膝の屈伸をして2回右腕でバットを大きく回し、左手で右肩を摘み本格的に構える。野球の求道者とてリラックスは必要。ニュートラルの状態で身体をほ
もっとみるneutral008 永遠に恋愛できない男
このタイトルから1918年の室生犀星の詩「永遠にやって来ない女性」を連想するあなたは相当な文学通でしょう。室生犀星は親友、萩原朔太郎が落胆したように植木等さんがゴツくなったようなお世辞にもハンサムとは言えない風貌だった。小説家では私の一推しでもある梶井基次郎(「何処にでもある場所」は『檸檬』からヒントを得た)も女子高生が写真を見て信じなかったように、文章と実物のイメージが一致しない二大巨頭と言え
もっとみるneutral007 何処にでもいる誰か
「誰でもない自分」とは本当のところ「誰」なのでしょうか?
同じように「何処でもない場所」ならば「何処にでもある場所」で正解(正解の一つに過ぎないが)で明確なところがある。
「誰でもない自分」において本当の素顔が現れ、反って自分らしい自分が見つけられるんじゃあないか。確かに利他行に徹している自分は純粋の中にいる。純真そのものの自分であるのだろう。
また「誰でもない自分」とは「匿名」ということでも
Neutral006 男まさりの美女
Neutral 006 男まさりの美女
有名観光地や、やや穴場的なスポットをロシアや東欧出身のモデル級の美女が紹介するYoutubeも人気がある。時々男まさりの言葉遣いが見た目とズレてオヤと思ったりする。恐らく初学の日本語を日本人の彼氏に習ったからだろうと思い当たって、惜しいなと感じる。かと言って優雅な日本語を話す日本人女性がそこら中にいる訳でもないだろうとも思う。兎に角外国人は日本人に比べ
neutral005 アイドル
日本在住の外国人男性は日本特有のアイドルに対して疑問を呈し、有り体に言ってしまえばその存在自体が認められないという感想を述べる。ドルオタ(アイドルオタク)はヨーロッパにもアメリカにも増え続けてはいるが、まだまだ特別な存在なのだろう。
アイドル=モラトリアムの象徴は、ニュートラルと共にあり、ニュートラルのある社会とニュートラルを無かったことにしてきた歴史を持つ社会の分水嶺の踏み絵というと大袈裟だ